おなじ言葉をくりかえし、僕等は分かりあえた事がない

今日は前置きが長くなりますが、書かずにいられないので、我慢してください。
まず、先に私の英語力についてエクスキューズさせていただくと、高校時代の私の英語の成績はクラスで最下位でした。また、大学院の院試の際、外国語に英語を選択したところ、見事に足切りをくらい、2回目*1にドイツ語を選択してなんとか合格した。そんな程度である。
さて、大学2回生の頃、有機化学の過去問の解法が良く解らなかったため、その試験対策を作成した先輩に質問をしに行った。その時、先輩に「この有機化学の教科書は分かり難いですね」と愚痴をこぼしたところ、先輩は「和訳版ではなく、原書である英語版を読むとわかりやすい」とアドバイスしてくれた。その先輩は後にUCLAに留学することになるのだが、そんなことを知るはずもない当時の私は、無謀にも英語版の教科書を入手して読んでみた。すると、たしかに原書のほうがわかりやすい。和訳版と読み比べると、和訳版では「あの」とか「その」の係り方や、「てにをは」がおかしい部分があることがわかった。結局、その年の試験対策には、私の和訳を添付して配布した。
社会人になってから、とある動物行動学の本を購入した。その本を読んでびっくりしたことがある。私は、動物行動学について体系的に学んだことはなかったが、その本に記載されている事柄の概要は既に細切れながらも知っていたため、内容にびっくりしたわけではない。例えば、ドイツ語を少しかじった程度の私でもおかしいと思っていた「幼児の図式」について新しい定訳が示されていた。「幼児の図式」については、「幼児のたくらみ」という、別の定訳が提唱されていたが、私にとってはそれは、さらに誤訳に思えていた。問題の"schema"については、心理学では「行動手順」と訳されたりするので「幼児に対する行動手順」みたいな日本語でないと誤訳だと、いまだに感じる。その本では、既に他分野に大きな影響を与えている「刷り込み」についても「刻印付け」に言い換えられていた。確かに「刷り込み」だと複数回にわたって学習される感じがするが、「刻印付け」だと1回の学習というのが明確になっている気がする。
で、本題なのですが、SPA!の記事で「アメリカの高校生が学ぶ経済学(isbn:4872902343)」が薦められていた。私は大学では、マルクス経済学しか習わなかったため、step upするため、購入してみた。で、数ページ読んでみてopportunity costを機会費用と機械訳しているのを見て、読むのをやめようかと思った。ここでのopportunityはopportunismやopportunisticという単語から連想される「ご都合主義的な」という意味合いが強く感じられ、それに対応した訳であるべきだと思われる。で、機会費用という言葉をネットで検索したところ、非常に多くのページがヒットした。つまり、この機会費用という適切でない訳は万人の混乱を引き起こしてきたと考えられ、機会費用という訳を作った人は、その責任をもって万死に値すると言いたいところだが、先駆者としての苦労も合ったことだろうから、多少割り引いて9,999回死ぬべきである。氏ねじゃなくて、死ね。
で、ちょっとのひずみならなんとかやれると思い、さらに数ページ読み進めると、needsを「ニーズ」と訳していて、wantを「欲求」と訳していた。心理学ではneedsが欲求であり、その訳の方が適切であると思う。経済学では、wantに別の訳を定義すべきであったと考えられる。とりあえず、「消費者のニーズにマッチした商品を開発する」と言っている奴は、現在の語定義から見ると、全く意味不明なことを言っている大馬鹿者である事は分かった。しかし、その大馬鹿者には死ねとは言わない。むしろイキロ。そして、間違いに気が付かないまま、生き地獄に落ちるがいい。
思うに、動物行動学会のような自浄能力のない、疲弊した日本の経済学の学会の人間は、万死に値すると言いたい所であるが、人によって経済学に対する関りかたも違うと考えられることから、とりあえず教育に携わる立場の人間は多少割増して、99,990回死ね。氏ねじゃなくって、死ね。そして国から給与を貰っている人間は、もっと意欲の有る人間にそのポストを譲るべきであろう。そこは、納税者として強く要求したい。
しかし、通りて日本人のノーベル経済学賞受賞者が出ないわけであるとは納得した。

*1:うちの研究科の試験は年2回実施されていた