手に入れた つもりでいたのは いつだって まやかしの影法師

このブログは一時期、スイーツな食べ歩きのブログだった。
それをやめた理由を、もう書いても良い時期かもしれないと、数日前に思ったので書いてみる。
その事変は、2008年10/16、その店に行った時、注文したケーキをテーブル席に座って待ってる間に起こった。
隣のテーブルの女性が、その店のウエイトレスに「このケーキは不良品ではないのか?」とクレームを入れていたのである。
そのアラサーな女性客に、ウエイトレスは「作った者に確認させます」と言って、実際に店の奥から20代前半に見えるパティシエを連れて来た。
その時、私は「あれっ?」と思った。その店のパティシェは中年男性のハズである。その女性客も「責任者を出せ」と言ったのだが、その日のその店の製造責任者は自分だと、その20代前半に見える女性が言う。
で、その事実が、さらに女性客の怒りに拍車をかけたのは、傍目に見ても明らかだった。
女性客のクレームの内容は、このタイプのケーキは、ここの部分がこうなっていないとおかしい、だからこれは"不良品"なんでしょ? というものだった。
横で話を聞いていた私も、女性客のクレームの内容は、そのタイプのケーキでは外せないセオリー通りであると思った。が、自分ならブログに「おいしくなかった」と書くだけで、店にクレームを入れたりはしない。
話を戻すと、20代前半に見える女性パティシェは、この店のこのケーキは、全部、そうなっており、この店としては、これは"不良品"ではない、とのことだった。
で、私に運ばれて来たケーキも、いろいろ間違っていて、おいしくなかったのは既報通りである。

で、その頃から、グルメというモノに疑問を抱き始めた。
仏教で言うと「発心」とでも言うべき出来事であった。
なぜ、ケーキを食べて「おいしくない」と不愉快になったり、さらに店にクレームを入れるほど怒ったりしなければならないのか。
数日後、ある言葉が思い浮かんだ。

足るを知る

誰が言った言葉だったか? と思って調べたところ、老子だった。
仏教関係の言葉だと思っていたので、ちょっと意外だった。